〈日々録〉ひびろく

日々の記録。発達障害やうつ、カウンセリングの記録。気分変調性障害、人との関わりが持てず引きこもり気味です。包み隠さず話します。

そのままの感情の吐露

現実の私は

人間との関わりが少なく

上部だけの関係しか築けず

生きていくこと、が

よく分からないでいる25歳。

そして求められるものは

25歳であれば出来るであろうこと。

期待されることと

実際の私にできることのギャップがあって

それが相当大きい気がしていて、

どうしていいか、分からない。

この感じ方が

気分変調性の症状なら

どうすればいいのか

だれか教えてください。

 

カウンセリングのペースを週一に

変更しよう。

 

カウンセリングを受け始めました

19歳から精神科、心療内科を受診し始めて約6年になり

今までで5つの病院に足を運んできた。

カウンセリングを受けたこともあったが、

その時は私は何も話せなかったし

カウンセリングの時間自体が苦痛だった。

カウンセリングに生きながらも

日常は無気力で、生きているのか死んでいるのか分からないような

常に罪悪感と自己嫌悪が付きまとう日々だった。

そしてカウンセリングにも意味を見出せず、病院も遠かったしお金もかかるし、きつくてやめた。

それからまた病院を転々として、

仕事も転々として、

今の病院でまたカウンセリングを受けることにした。

初診の時にすぐにカウンセリングを

勧められたが、

私はカウンセリング自体にいい思い出がなかったので、

最初は断った。

前のカウンセリングの時は

相手からあまり質問がなく、

自分から話さなきゃいけないようなスタイルで、私は自分の気持ちもわからないでいるので、話そうにも言葉が出てこないから作り話などをして間を持たせようとしていた。そうしてるとだんだん金と時間と労力の無駄だなという風に感じてくる。

だから、

またあれをやるのかとすごく気が重くなったし恐怖を感じた。

だけど、今の私のうつ状態

薬だけでは絶対に治らないと自分で強く感じていたし、

何かしなきゃ、と焦っていたので

できることはなんでもやっとこうと思いまたカウンセリングを受けることを決めた。

 

今おそらくカウンセリングを受けて3回くらいだと思うが、

今回のカウンセリングは

前回と違って向こうから質問をしてもらえる。

最近の気分はどうだったか、とか

家族のこと、

日頃どのような不安を感じているか、

過食嘔吐の頻度や食べ物の種類など、

好きなこと、など

こちらが話題を作らなくても

話せるようにしてもらえる。

言葉ではうまく言えないけど、

前回よりは続けられそうな気がしているし、

話ができる場所があることは嬉しい。

 

最近のこと

結局パートを始めて1年が経った。

きつさは変わらない

生きていることがつらい

具体的に何かが自分で分からないからつらい。

周りと自分は何か違う。

うまく成長出来てない、

自分だけ檻に入って

ずっと同じところで止まっているような

感じが続いている。

なぜ?どうすればいい?

それがわかったら

既に行動しているし

今、歳下に敬語を使ってへこへこすることも

彼氏に理不尽に当たり散らして怒られて自分と周りの人を恨むことも

自分自身に絶望して責めつづけて

攻撃することも

感情が暴走して行動がはちゃめちゃになり破滅することも

防げているだろうに。

24年生きてきたが、

やっぱり前と変わらず

もう、生きるのはこりごりだという気持ちしかない。

自分自身に対しての

憤りや不甲斐なさや罪悪感などで

心がいっぱいになり、

心だけじゃ止められず

身体中に染み渡っている。

脳みそにまで

それがいっぱいに染み渡り、

まさに汚染、という状態だと思う。

 

そんな感じだ。

自分を知ること②

私は自分のことを料理が上手なんだと思っていた。 

家族の夜ご飯をよく作るし、

なんとなくで作れちゃうし、

褒めともらうことも多かったし。

 

でも今日カレーを作ってみて

想像と違った味になってしまって

それがすごく受け入れられなかった。

味が甘くなりすぎて美味しくなかった。

なんとかして甘みを消そうと

ムキになった。

こんなはずじゃない、こんなはずじゃないって

こんなのが出来るはずじゃなかったんだって

いまもまだ、心の落とし所がわからない。 

 

 

私は料理すらも出来ないのか…と

酷く落ち込んだ。

何にそんな執着してるのかな、、

失敗が嫌なのかな…

時間が無駄になったことが嫌なのかな…

それかも、

今日作ろうって思ってて、計画してたのに

台無しになってしまったことだ…

しかもせっかくの休みを

カレーなんかに使ってしまって…

作りたくもないのに

しかも作って失敗して

あーあ…

 

自分を知ること

女だからって

私はかっこいい服が好きなんだから

私は私なの!

って昔は思っていて、

アイドルのような服や

ギャル系の服など

女らしい服を避けていた。

自分で似合わないって思ってたからなのかもしれないけど

とにかく女の子が

女の子女の子してるのが嫌だった。

女の子なのに。

学校では

化粧をしたり髪を染めたり

スカート曲げたり

香水つけたり

首元をおおきくあけたり

制服を可愛く着ている女子が

苦手だった。

でも今思えば

私もしたかった。

彼女たちからは女の子の雰囲気を

ふわっと身にまとって

女性という性別をしっかりこちらに意識させていた。

女の私でも意識させられて、

私は気が引けた。

自分の女性性をうまく受け入れられなかったのか、

わからないけれど。

当時は彼女たちに

羨ましい思いと

軽蔑の思いが

入り混じったはっきりしない感情を処理できなくて

私は押し込めていたんだと思う。

認めたくなかったのかもしれない。

自分におしゃれしたい、とか、可愛くしたい、とか、他の子よりも可愛くいたい、とかの感情を。

私は私だし、なぜ女の子らしくしなきゃいけないの?周りが同じようなロングヘアで前髪を斜めに分けた髪型になっていく中、私はずっとショートカットを選んだ。

そうやって不器用な自己主張をしていた。ほんとは人一倍周りから認められたかった。周りとはちがうことをして、私のことを見て欲しかった。

こんな私のことも可愛いっていって欲しかった。

周りとちがう、これが私だよ、すごいでしょ。女の子なのに髪の毛はショートだし、持ち物も人とはちがうものを持ってるし。

私は周りとは違うんだ、性別なんて気にしないし、って強がっていたのかな

 

 

 

 

 

人の役に立っているという気持ち

今日、

彼氏の起きる時間に合わせて

ラインをしてみたら

アラームを付け間違えてて

ラインで起こさなかったら

仕事遅刻していたようだった。

 

こんなわたしでも

人の役にたった。

その人の人生に

私が影響を与えた。

その人の生きる支えになった。

そう思ったら

私は生きる力が湧いてきた。

人が生きる上での

手助けができた。

あなたがいて私がいる、

というのはほんとのことだ。

人は支え合い、助け合いなんだな。