〈日々録〉ひびろく

日々の記録。発達障害やうつ、カウンセリングの記録。気分変調性障害、人との関わりが持てず引きこもり気味です。包み隠さず話します。

言葉に出来ないことが多すぎる

人が生きていくというのは

なんと

大変なことだろうと

よく思う。

 

家族といえども年齢は違っていてライフステージが違うわけだから

悩みも違うだろう。

ショックを受けて心が弱ってしまうタイミングも、誰かに頼りたくなるタイミングも、またその出来事の大小によるその人が受けるショックの大きさも

なにもかもが違う。

 

自分が弱り切って他人のことを助ける余裕などない時もあるし、

頼ったけれども頼りにならなくて

絶望感に苛まれたり、

なんだか元気がないことに

気づいてはいるものの

 

自分の問題に対応するのが精一杯で、

何もしてやれなくてさらにもやもやが募る時もある。

 

自分がなんだか元気がない、

もうダメなきがする、何もする気がないのに退屈だ、などと

色々なネガティブに覆われて

困っているとき、苦しい時。

人に頼りたくなるが、

どうも頼り方を間違えてしまう。

助けの求め方がわからないでいる。

なぜなら自分自身でさえ、

なぜイライラするのか、

なぜ無気力なのか、

なぜ空虚なのか、

なぜ不安なのか、

なぜ不満なのか、

なぜさみしいのか、

真に理解できていないからだ。

自分で理解できないけど、困っていてすごく苦しい。

だから何かしらの間接的なアクションで

周囲の人間にわかってもらおうとする。

 

例えば

どうでもいいことを聞いてみたり、

心配してほしいのに

逆に相手の事を心配してみたり、

あれをしてくれこれをしてくれと

幼児のように要求をぶつけてみたり。

 

しかし、相手には

心配してほしい、助けてほしいというのが伝わるどころか

困らせたり厄介者扱いされたり、

喧嘩になってより悲しい気持ちになってしまう。

 

そうすると本人からしたら

頼ってみたが私の気持ちわかってもらえなかった、

助けてくれなかった、

などの相手への

憎しみや、怒りなど

また頼ったけれど期待した結果が得られずに、

困りごと解決のための可能性が断たれ

絶望を感じることになる。

 

こうなった時、自体は深刻になる気がする。

自分の「困りごと」を解決するのが

自分でも出来ない、誰にも頼れない、

という状況で、先送りになってしまうからだ。

 

私は、

自分でどうしようも出来ないし

頼れるひともいないという状況になると、

当然不安や虚しさ無気力などの生きる上でのハンデになるものを背負い続けながら生きていかねばならなくないので、

当然「生きづらさ」を抱えることになる。

そしてこの「生きづらさ」は慢性化し

自分が辛いのか悲しいのかすら分からない悪い状態にまでなってしまうと思う。

 

自分の悩みが理解できないこと、

そして困りごとが相手に伝わらないこと、これは「生きづらさ」と言われるものの1つだ。

 

 

 

 

何が言いたいのかというと自分でも分からないが…助かりたいんだ

 

上記のような

困っているが困りごとを

うまく伝えられなくて

頼りたい相手とすらうまくいかなくなり孤独を深めるという状況の

問題点はなにか?

 

=相談するまでの段階に

至っていないことではないか?

 

相談する、ことは
〜で悩んでいるんだけど、
どうしたらいいと思う?
が、相談で
まず「相談」をするには
相談する側が自分の悩みを
自分で解っている必要がある。

 

 

①困っていることを理解できずに自分だけでの解決が不可能。
言語化ができないので相談ができない。
の2つで困っている、のが悩み。

 

そのままシンプルに言語化するとしたら、

最近無気力だし寂しいし

なんか虚しいしなんもかもが嫌で弱ってるんだ、どうしたらいいかな?

になるか…。

 

あーでもこんな言い方しても

悩みが曖昧すぎる…

 

自分で自分の悩みの本質に気づくしか

生きづらさの解決にはならないのかな…

 

自分で自分の真の欲求を

みとめられない、という事が

本質なのかも。

私のほんとのきもち…。

ほんとのきもち??

それって、抑える事が習慣化してたらきつくない?

本心を否認しているのが

生きづらさだとしたら

自分で自分を「生きづらく」していることになるの?

やべえ…本心を感じるってどうしたらいいのかな…