〈日々録〉ひびろく

日々の記録。発達障害やうつ、カウンセリングの記録。気分変調性障害、人との関わりが持てず引きこもり気味です。包み隠さず話します。

うつ状態、精神論では、治りません。

いままで

私はやればできるんだ、

やってないだけだ、

本気出してないだけだ、

やらざるを得ない立場になったらやるんだと

思っていたんだけど、、

違った。

精神論では治らないから

困ってるのであって、

苦しんでるのであって、

どうしようもなくて絶望しているのに、

それでもやればできるんだと

気の持ちようだと

精神論で解決しようとしていた。

 

私は、自分が今のような

仕事が続かない、

生きるの自体が辛い、

24歳にもなってバイト生活、

暇があれば過食嘔吐

お金もない、

友達いない、楽しくないし、

存在していることが辛い、

出来れば死にたい、消えたい、

なんていう現状になると

思っていなかったし、

理想ではもっと社会にでて

能動的に仕事して、

貯金も計画的にして、

健康にも気をつけて、遊びも楽しんで、輝いているはずだったから、、

 

そのギャップがあまりにも酷すぎて

なんせ現実が酷すぎるから

現状を未だに受け入れていなかったみたいだ。

自分の今の現状、

辛すぎて泣いて嘆いたりしてもおかしくないよ?

でもあまりそれを出来ないのは

おそらくまだ、受け入れられてないからなんだね。

理想の私は後輩にも優しくして

職場の人間関係良好、

トラブルがあっても

折れない心の強さをもっててパワフルに生きているはずだったから…

理想と現実

かけ離れすぎ。

まずは受け入れなきゃだよね…

現実の自分を受け入れなきゃ…

 

失感情症?文化的な生活?

自分が生きているのか死んでいるのかわからない時がある。

まさに、ここ4年くらいか

私は生きながらにして死んでいる

と思う。

何故こうなってしまったかは

今頑張って突き止めてる最中なんだけど

 

なんだろう、

人との関わりがなくなって、

生活に文化が無くなっら

それはもう人で無くなるんじゃないかと思う。

肉体だけが残って、

精神が廃れて

何も感じなくなったりして

生きながらに死ぬんだと思う。

 

美輪さんが

人間は肉体と精神で出来てる、

精神を形成するのは文化だと言ってたけど、

文化的な生活じゃ無くなると、

たしかに私

生きてる心地しない。

 

難しく考えすぎてるのかな、

ナルシストなのかな、、、

 

生きながらに死んでるよ、私。

社会人として一人前になってきちんと人間として生きる前に

死んでるよ。

 

でもさ、鬱になったらそうじゃない?

なかなか人間には戻れない気がするよ、

脳の働きが弱くなって

文化のある生活を送ることさえも

きつがったりするから。

だからうつ病ってやっぱ怖い

なかなか戻らないもん。

真剣に病だと受け入れて

治療しないと私ダメかも。。

 

限られたものでいかに楽しむか

私の部屋は狭い。

八畳かな?よくわからん。

お金もない。

友達もいない。

彼氏はいるけど満たされない。

何より鬱がひどい。

バイトはしてるけど浮いている。

家族とは仲良くできない。

お金があるから幸せ?

部屋が広いから幸せ?

物がたくさん買えて

衣食住が充実すれば幸せ?

私の家には綺麗なお風呂、綺麗なトイレ、綺麗なキッチン、全部ある。

実家だからご飯には困らないし

部屋を充実させる家具を

買うくらいの収入はあるけど

きっといまの私の不満はそこではない。

何か行き詰まっている理由があるんだけど、そこには触れずに

一時的な気分の高揚に目が眩んでしまい

衝動買いをしてしまったことが何度もある。

コンビニでおにぎりとジュース

パスタ、ポテチ、

家具なら安いテーブル、座椅子、

何かきちんとした自分がほしくて買った

ギター、

バッグ、アクセサリー

沢山あるけど

使っていないものもある。

折りたたみテーブルは使う頻度が少なかった。あんなに必要としてたのに。

ゴミ箱と座椅子は使っている。

サイドテーブルも買ってよかった。

リュックは高かったのに一度も使ってないし。はーあ

 

何を書こうとしたのかというと

お金がないから高いものを買ったりできないし、部屋を広くすることもできない、鬱や摂食障害で無気力、生活できなくなった時の

お金のかからない楽しみかたを

1つ見つけたから記録しとこうと思ったんだ。

今あるもので

いかに自分の部屋を使いやすく散らかりにくく

しっくりくるレイアウトにするか

考えることは結構楽しい。

今は何もかもが空虚で不満だから

ずっと散財に走っていたが、

それでは心が埋まらなかった。

休みの日の暴食、目的もなく遠出をしたり、目的もなくショッピングに行ったり、パン屋でパンを買ったり。

優雅な休日の過ごし方の、

自分の中にあるイメージをただ実行していた。ほかにどうすればいいかわからなくて、不安に襲われてしまうから。

 

でも、何度も同じことを繰り返しても心は満たされなかった。

だから休日の過ごし方を変える。

過食はなるべく控えて、吐かないようにする。

買い物もどうせ買いたいものがはっきりしていないし

買ったところでいまの不安や空虚はなくならないから無駄遣いになる。

私の問題は物がないからではない。

お金がないからではない。

可愛いアクセサリー、可愛い服、可愛い下着がないからではない。

ギターが弾けないからでもないし

太っているからでもない。

睡眠不足だからでもないし

部屋が狭いからでもない。

 

根本はそこじゃない。

 

だから

お金を使う休日の過ごし方はやめよう。

模様替え、楽しいぞ。

いかにこの部屋のレイアウトを楽しめるか、いかに居心地のいい空間にできるか、いかに洗練された文化的な空間にできるか、工夫することを楽しもう。

 

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言葉に出来ないことが多すぎる

人が生きていくというのは

なんと

大変なことだろうと

よく思う。

 

家族といえども年齢は違っていてライフステージが違うわけだから

悩みも違うだろう。

ショックを受けて心が弱ってしまうタイミングも、誰かに頼りたくなるタイミングも、またその出来事の大小によるその人が受けるショックの大きさも

なにもかもが違う。

 

自分が弱り切って他人のことを助ける余裕などない時もあるし、

頼ったけれども頼りにならなくて

絶望感に苛まれたり、

なんだか元気がないことに

気づいてはいるものの

 

自分の問題に対応するのが精一杯で、

何もしてやれなくてさらにもやもやが募る時もある。

 

自分がなんだか元気がない、

もうダメなきがする、何もする気がないのに退屈だ、などと

色々なネガティブに覆われて

困っているとき、苦しい時。

人に頼りたくなるが、

どうも頼り方を間違えてしまう。

助けの求め方がわからないでいる。

なぜなら自分自身でさえ、

なぜイライラするのか、

なぜ無気力なのか、

なぜ空虚なのか、

なぜ不安なのか、

なぜ不満なのか、

なぜさみしいのか、

真に理解できていないからだ。

自分で理解できないけど、困っていてすごく苦しい。

だから何かしらの間接的なアクションで

周囲の人間にわかってもらおうとする。

 

例えば

どうでもいいことを聞いてみたり、

心配してほしいのに

逆に相手の事を心配してみたり、

あれをしてくれこれをしてくれと

幼児のように要求をぶつけてみたり。

 

しかし、相手には

心配してほしい、助けてほしいというのが伝わるどころか

困らせたり厄介者扱いされたり、

喧嘩になってより悲しい気持ちになってしまう。

 

そうすると本人からしたら

頼ってみたが私の気持ちわかってもらえなかった、

助けてくれなかった、

などの相手への

憎しみや、怒りなど

また頼ったけれど期待した結果が得られずに、

困りごと解決のための可能性が断たれ

絶望を感じることになる。

 

こうなった時、自体は深刻になる気がする。

自分の「困りごと」を解決するのが

自分でも出来ない、誰にも頼れない、

という状況で、先送りになってしまうからだ。

 

私は、

自分でどうしようも出来ないし

頼れるひともいないという状況になると、

当然不安や虚しさ無気力などの生きる上でのハンデになるものを背負い続けながら生きていかねばならなくないので、

当然「生きづらさ」を抱えることになる。

そしてこの「生きづらさ」は慢性化し

自分が辛いのか悲しいのかすら分からない悪い状態にまでなってしまうと思う。

 

自分の悩みが理解できないこと、

そして困りごとが相手に伝わらないこと、これは「生きづらさ」と言われるものの1つだ。

 

 

 

 

何が言いたいのかというと自分でも分からないが…助かりたいんだ

 

上記のような

困っているが困りごとを

うまく伝えられなくて

頼りたい相手とすらうまくいかなくなり孤独を深めるという状況の

問題点はなにか?

 

=相談するまでの段階に

至っていないことではないか?

 

相談する、ことは
〜で悩んでいるんだけど、
どうしたらいいと思う?
が、相談で
まず「相談」をするには
相談する側が自分の悩みを
自分で解っている必要がある。

 

 

①困っていることを理解できずに自分だけでの解決が不可能。
言語化ができないので相談ができない。
の2つで困っている、のが悩み。

 

そのままシンプルに言語化するとしたら、

最近無気力だし寂しいし

なんか虚しいしなんもかもが嫌で弱ってるんだ、どうしたらいいかな?

になるか…。

 

あーでもこんな言い方しても

悩みが曖昧すぎる…

 

自分で自分の悩みの本質に気づくしか

生きづらさの解決にはならないのかな…

 

自分で自分の真の欲求を

みとめられない、という事が

本質なのかも。

私のほんとのきもち…。

ほんとのきもち??

それって、抑える事が習慣化してたらきつくない?

本心を否認しているのが

生きづらさだとしたら

自分で自分を「生きづらく」していることになるの?

やべえ…本心を感じるってどうしたらいいのかな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビアリズムという番組

戸川純が好きで

動画を見漁っていたら、

ビアリズムという番組にたどり着いた。

私は世代ではないので

良く知らなかったんだけど、

なんとも楽しそうな番組だった。

そこに岡崎京子も出てて、

すっごいお洒落な人だなと思った。

喋り方も独特だし、

戸川純も独特だが笑

私はああいう喋り方が嫌いじゃない。

 

あんな風にシンプルに5.6人が並んで

ただ好きな話をする番組って

今あるのかな??

戸川純が話を回してるのも好きで、

やっぱりこの人って

常識、というかきちんとした方なんだなぁと思いながら見てしまう。

 

世代じゃないものに興味が出てきてしまって最近はもっぱら80年代サブカルチャーのような所への興味が続いている。

 

病気ダヨ!全員集合!

という本も買った。

大槻ケンヂ戸川純雨宮処凛

私の24年の人生のなかでお世話になってきた、お世話になっている人が3人も載ってたから。

 

対談形式の本は読みやすいから

鬱っぽくても読める。

戸川純

「握手握手。」ってするところすごく

可愛いなぁって思った。

あとは「社会性に貢献できるなら、それこそ光栄です。」

という言葉も好きだったなぁ。

なんか好きになっちゃうなぁ

 

パンク蛹化の女 の

なんかの映像を見たんだけど、

いまから40年?くらい前になるのかな

その時にあんな可愛い格好でパンク

歌ってる人いたんだって衝撃だった。

可愛いし、あどけないし華奢なのに

声と歌い方ゴツくて、

でも下品ではない気もして

あの動画は良かったなぁ。

 

まだまだ80年代ブームは続く。

ビアリズムがどうしても見たい。

映像残ってないだろうか…

 

 

 

 

 

 

続く疑問(発達障害の特性からなのか)

発達障害って診断受けてないけど

おそらく自閉症スペクトラムであろうと

思ってる。人にも言われたし。

で、

やはり

「自分のことがわからない」

というのは発達障害の特性

なんじゃないかと思う。

 

自分がなにが好きか、

なにに興味があるか、

なにが嫌いか、

など、やってみなきゃわからない

ことも多いと思うけど

おそらく分かりなくいのが特性としてあるんじゃないかな

 

大学生の時に周りが就活をしだして、

とりあえず私も「シュウカツ」というものをやらねばならんのか、と思い

取り組もうとしたんだけど、

現在24歳になるが「シュウカツ」というものがよく分からん。

なに?「シュウカツ」って?

「就職活動」を略してそう呼んでいることは理解してる。

では、「就職活動」というのは具体的に

どのように行動することを言うのか?

なんとなく言われてきたことはある。

・自己分析をして自分を知る

・企業の研究をする

会社説明会に参加する

などなど、

あとは大学内でも先輩たちの話を聞いたり、学生間だけで意見交換をする場があったりといろいろ大学も機会を与えてはくれるんだけど…

 

私はその機会や情報を

活かせるまでの精神性に

到達していなかった、ように思う。

 

まず、大学入学する前に一年浪人したくらいの時から、

私は精神のバランスを崩し

不安定だった。(18歳から19歳)

 

大学に入学したものの、

とにかく「ダイガク」というところに「ニュウガク」すれば、

私は「オトナ」になれたり、

楽しい「キャンパスライフ」というものが送れるんだと思っていた。

 

受験に合格して「ダイガク」に入ることで、未来は楽しく明るく充実したものになると約束されていると思っていた。

 

しかし。

 

入学してもなんだか友達もうまく作れない。

興味のある授業、ない。

自分がなんなのかわからない。

バイト、何のためにするの。

大学のカリキュラム、仕組みムズカすぎてわからない。

誰に聞くべきか、わからない。

どう質問していいか、わからない。

一人暮らし、自分で一日を組み立てられない。

朝、自分で起きられない。

 

沢山の「解らない」が積み重なって、

自分でどうする事も出来なくて

私は心を病み、部屋に引きこもるようになった。

もちろん授業も行けなくなった。

自分が世の中の流れから取り残された気がして、寂しくて仕方なかったし、

自分で自分の状態がおかしい、つらい、周りと違うと思っていたので

この時期から精神科にも通い出した。

 

一回休学して実家で過ごしたが、

また戻ってもダメだった。

何にも興味がわからない。何が何だかわからない。死にたい。

親に言って大学は辞めた。

けど、大学3年まで通ってうん百万を私は無駄にしてしまった。

 

(高校卒業、浪人から大学中退まで)

 

続く

 

突然くるエレカシ欲

エレファントカシマシという

名前だけならなんとなく

聞いたことはあったけど、

そんなに曲は知らないし

エレカシ、なんて略して

気軽に呼べない、と思っていた

恥ずかしさがきたり、申し訳なさがきたり…

 

でも、もうエレカシと呼んでいいだろうと

自分で思えるくらいになるまで、

エレカシが好きだという確信が

じわじわとときてる。

なにがきっかけかわからないけど、

突然くるエレカシ欲。

ふと聴きたくなって、

動画を漁ったりしてしまうんだけど

なんでかな…

 

宮本浩次さんのファンになってしまいそう

おしゃべりしてる時は

全然まとまりがなくて

とにかく笑っちゃうし、共感もできるし。

曲はまっすぐで純粋で情熱的で

私は洒落てるのよりも

こういう音楽に共感してしまい。

もちろん洒落てないということじゃなくて、

不器用な成分多め、みたいな笑

だけどちょーかっこいい。

曲に元気付けられるって

こういうことかと

始めて実感できたかもしれない、、

 

エレカシと同世代くらいで

共に歳をとっていたらどうだったんだろう。

ライブとかいってたのかなぁ…

同じ時代に生まれたかったなぁ…

4人グループで

20年以上やっているという事実にも

なんだか、

世の中捨てたもんじゃないや!!って

いう気持ちになった

とにかく

エレカシには勇気や希望を

貰っている。

 

突然のエレカシブームの日でした。