〈日々録〉ひびろく

日々の記録。発達障害やうつ、カウンセリングの記録。気分変調性障害、人との関わりが持てず引きこもり気味です。包み隠さず話します。

悩んでいるから、ではなくて

 

悩んでいるから何も手につかないんじゃなくて、

 

私が弱いからだ。

 

私弱いんだ…

私弱い

私は弱いから仕事もできない

言いたいことも言えない

家族も大事に出来ないし

人に優しくも出来てない

 

私は弱い

だからマウントも取りたくなる

 

弱いと認めることが出発点らしい。

 

なやんでもいいよとブッタは、いった。

を読んで。

 

学びがあります。

早く人間になりたい

人間ではあるんだけど

 

私はまだ

依存という状態から抜け出せてなくて

おそらく

誰かにどうにかして欲しいという

状態でフラフラ来ている。

だから、

精神が中学生みたい、だとか

子供のままで止まってる、だとか

私はまだ子供、みたいな発言が

出てくるんだろう。

 

昨日は疲れすぎて

私、自分の人生放棄してるなと

ふと思った。

自分で自分を充足させてあげられていない。

それが何故起こるのか

 

きっとネガティブな感情を感じるのを

避けて、押し込めていたからだと思う。

嫌なことを嫌だと言えない

自己主張ができない

そうして出来上がった私は

自分を自分で放棄している

生きながらに

自分の人生を諦めている

そんな人間になった。

だから毎日虚しいのか

だから毎日無気力なのか

だから自分の好きなものが分からないのか

 

自分の本心というものをもっと大事にすべきなのか。

確かに自己の確立はできてないから

依存から抜け出せば確立できるのか

 

まずは本心をきちんと感じることだな

生きているのか死んでいるのか

私の認識が多いに間違っている気がする。

普通の人は働いてて辛いことが起こったら対処して、また元気になれる。

友達もいるし、前向き。仕事が楽しい、

みたいな固定観念がわたしにはある。

 

これが私のおもう普通の大人。

自己評価が低すぎるせいか、

自分以外の人間は完璧で順調で過食嘔吐なんてしなくて両親との関係も良好で、自分の感情処理は自分で出来て、

世間知らずを脱出していて、ある程度モテて、合コンして、恋人作って、

仕事終わりは飲みに行ったりジムに行ったりして、職場のナカマやセンパイと話をして、週末は自分の趣味に費やしたり友達と遊んだり、資格の勉強したりキャリアアップのために努力する。

 

みたいな。

 

こんな社会人像って、リアル?

 

私は人付き合いが皆無だから

実際に普通というものを確かめる術が無い。

だから

私の頭の中での普通の人のイメージは、

ただの勝手に作り出したイメージであって、

真実かは分からないんよね

 

でも私は

他の人はこうなんだろうなって

他の同年代はこうなんだろうなって思って、自分と比べてがっかりしてしまう。

真実じゃないのに。

しかも、全員こんな順風満帆で前向きなわけないのに。

みんな、って日本人の中の同年代が

どんくらいいるのかも知らないのに、

私は勝手に

こんな風に働けてなくて燻ってるのは自分だけだ、情けない、

自分は置いていかれた、もう終わりだなんて思っているけど

実はこの考えこそ

認知の歪みなのかなぁ。

 

冷静に考えてみたら

正しくないもんね。

私一人一人を調査した訳じゃないし。

こんなにもネットの中では

働くのが怖い、社会に出るのが怖い、

鬱できつい、なんて人が溢れてるのに

現実に会ったことないから

実際いるのかを肌で感じ取ることが出来ないのもダメだよね。

ネットは便利だし

同じような人とつながれるけど

やっぱり現実でみて確認しないと

本当にいるの??って気になっちゃうなぁ

 

佐賀じゃ自助グループとか

あまり見かけないし、、、

 

認知の歪みには

気づけたかな、今日は。

 

 

うつ状態、精神論では、治りません。

いままで

私はやればできるんだ、

やってないだけだ、

本気出してないだけだ、

やらざるを得ない立場になったらやるんだと

思っていたんだけど、、

違った。

精神論では治らないから

困ってるのであって、

苦しんでるのであって、

どうしようもなくて絶望しているのに、

それでもやればできるんだと

気の持ちようだと

精神論で解決しようとしていた。

 

私は、自分が今のような

仕事が続かない、

生きるの自体が辛い、

24歳にもなってバイト生活、

暇があれば過食嘔吐

お金もない、

友達いない、楽しくないし、

存在していることが辛い、

出来れば死にたい、消えたい、

なんていう現状になると

思っていなかったし、

理想ではもっと社会にでて

能動的に仕事して、

貯金も計画的にして、

健康にも気をつけて、遊びも楽しんで、輝いているはずだったから、、

 

そのギャップがあまりにも酷すぎて

なんせ現実が酷すぎるから

現状を未だに受け入れていなかったみたいだ。

自分の今の現状、

辛すぎて泣いて嘆いたりしてもおかしくないよ?

でもあまりそれを出来ないのは

おそらくまだ、受け入れられてないからなんだね。

理想の私は後輩にも優しくして

職場の人間関係良好、

トラブルがあっても

折れない心の強さをもっててパワフルに生きているはずだったから…

理想と現実

かけ離れすぎ。

まずは受け入れなきゃだよね…

現実の自分を受け入れなきゃ…

 

失感情症?文化的な生活?

自分が生きているのか死んでいるのかわからない時がある。

まさに、ここ4年くらいか

私は生きながらにして死んでいる

と思う。

何故こうなってしまったかは

今頑張って突き止めてる最中なんだけど

 

なんだろう、

人との関わりがなくなって、

生活に文化が無くなっら

それはもう人で無くなるんじゃないかと思う。

肉体だけが残って、

精神が廃れて

何も感じなくなったりして

生きながらに死ぬんだと思う。

 

美輪さんが

人間は肉体と精神で出来てる、

精神を形成するのは文化だと言ってたけど、

文化的な生活じゃ無くなると、

たしかに私

生きてる心地しない。

 

難しく考えすぎてるのかな、

ナルシストなのかな、、、

 

生きながらに死んでるよ、私。

社会人として一人前になってきちんと人間として生きる前に

死んでるよ。

 

でもさ、鬱になったらそうじゃない?

なかなか人間には戻れない気がするよ、

脳の働きが弱くなって

文化のある生活を送ることさえも

きつがったりするから。

だからうつ病ってやっぱ怖い

なかなか戻らないもん。

真剣に病だと受け入れて

治療しないと私ダメかも。。

 

限られたものでいかに楽しむか

私の部屋は狭い。

八畳かな?よくわからん。

お金もない。

友達もいない。

彼氏はいるけど満たされない。

何より鬱がひどい。

バイトはしてるけど浮いている。

家族とは仲良くできない。

お金があるから幸せ?

部屋が広いから幸せ?

物がたくさん買えて

衣食住が充実すれば幸せ?

私の家には綺麗なお風呂、綺麗なトイレ、綺麗なキッチン、全部ある。

実家だからご飯には困らないし

部屋を充実させる家具を

買うくらいの収入はあるけど

きっといまの私の不満はそこではない。

何か行き詰まっている理由があるんだけど、そこには触れずに

一時的な気分の高揚に目が眩んでしまい

衝動買いをしてしまったことが何度もある。

コンビニでおにぎりとジュース

パスタ、ポテチ、

家具なら安いテーブル、座椅子、

何かきちんとした自分がほしくて買った

ギター、

バッグ、アクセサリー

沢山あるけど

使っていないものもある。

折りたたみテーブルは使う頻度が少なかった。あんなに必要としてたのに。

ゴミ箱と座椅子は使っている。

サイドテーブルも買ってよかった。

リュックは高かったのに一度も使ってないし。はーあ

 

何を書こうとしたのかというと

お金がないから高いものを買ったりできないし、部屋を広くすることもできない、鬱や摂食障害で無気力、生活できなくなった時の

お金のかからない楽しみかたを

1つ見つけたから記録しとこうと思ったんだ。

今あるもので

いかに自分の部屋を使いやすく散らかりにくく

しっくりくるレイアウトにするか

考えることは結構楽しい。

今は何もかもが空虚で不満だから

ずっと散財に走っていたが、

それでは心が埋まらなかった。

休みの日の暴食、目的もなく遠出をしたり、目的もなくショッピングに行ったり、パン屋でパンを買ったり。

優雅な休日の過ごし方の、

自分の中にあるイメージをただ実行していた。ほかにどうすればいいかわからなくて、不安に襲われてしまうから。

 

でも、何度も同じことを繰り返しても心は満たされなかった。

だから休日の過ごし方を変える。

過食はなるべく控えて、吐かないようにする。

買い物もどうせ買いたいものがはっきりしていないし

買ったところでいまの不安や空虚はなくならないから無駄遣いになる。

私の問題は物がないからではない。

お金がないからではない。

可愛いアクセサリー、可愛い服、可愛い下着がないからではない。

ギターが弾けないからでもないし

太っているからでもない。

睡眠不足だからでもないし

部屋が狭いからでもない。

 

根本はそこじゃない。

 

だから

お金を使う休日の過ごし方はやめよう。

模様替え、楽しいぞ。

いかにこの部屋のレイアウトを楽しめるか、いかに居心地のいい空間にできるか、いかに洗練された文化的な空間にできるか、工夫することを楽しもう。

 

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言葉に出来ないことが多すぎる

人が生きていくというのは

なんと

大変なことだろうと

よく思う。

 

家族といえども年齢は違っていてライフステージが違うわけだから

悩みも違うだろう。

ショックを受けて心が弱ってしまうタイミングも、誰かに頼りたくなるタイミングも、またその出来事の大小によるその人が受けるショックの大きさも

なにもかもが違う。

 

自分が弱り切って他人のことを助ける余裕などない時もあるし、

頼ったけれども頼りにならなくて

絶望感に苛まれたり、

なんだか元気がないことに

気づいてはいるものの

 

自分の問題に対応するのが精一杯で、

何もしてやれなくてさらにもやもやが募る時もある。

 

自分がなんだか元気がない、

もうダメなきがする、何もする気がないのに退屈だ、などと

色々なネガティブに覆われて

困っているとき、苦しい時。

人に頼りたくなるが、

どうも頼り方を間違えてしまう。

助けの求め方がわからないでいる。

なぜなら自分自身でさえ、

なぜイライラするのか、

なぜ無気力なのか、

なぜ空虚なのか、

なぜ不安なのか、

なぜ不満なのか、

なぜさみしいのか、

真に理解できていないからだ。

自分で理解できないけど、困っていてすごく苦しい。

だから何かしらの間接的なアクションで

周囲の人間にわかってもらおうとする。

 

例えば

どうでもいいことを聞いてみたり、

心配してほしいのに

逆に相手の事を心配してみたり、

あれをしてくれこれをしてくれと

幼児のように要求をぶつけてみたり。

 

しかし、相手には

心配してほしい、助けてほしいというのが伝わるどころか

困らせたり厄介者扱いされたり、

喧嘩になってより悲しい気持ちになってしまう。

 

そうすると本人からしたら

頼ってみたが私の気持ちわかってもらえなかった、

助けてくれなかった、

などの相手への

憎しみや、怒りなど

また頼ったけれど期待した結果が得られずに、

困りごと解決のための可能性が断たれ

絶望を感じることになる。

 

こうなった時、自体は深刻になる気がする。

自分の「困りごと」を解決するのが

自分でも出来ない、誰にも頼れない、

という状況で、先送りになってしまうからだ。

 

私は、

自分でどうしようも出来ないし

頼れるひともいないという状況になると、

当然不安や虚しさ無気力などの生きる上でのハンデになるものを背負い続けながら生きていかねばならなくないので、

当然「生きづらさ」を抱えることになる。

そしてこの「生きづらさ」は慢性化し

自分が辛いのか悲しいのかすら分からない悪い状態にまでなってしまうと思う。

 

自分の悩みが理解できないこと、

そして困りごとが相手に伝わらないこと、これは「生きづらさ」と言われるものの1つだ。

 

 

 

 

何が言いたいのかというと自分でも分からないが…助かりたいんだ

 

上記のような

困っているが困りごとを

うまく伝えられなくて

頼りたい相手とすらうまくいかなくなり孤独を深めるという状況の

問題点はなにか?

 

=相談するまでの段階に

至っていないことではないか?

 

相談する、ことは
〜で悩んでいるんだけど、
どうしたらいいと思う?
が、相談で
まず「相談」をするには
相談する側が自分の悩みを
自分で解っている必要がある。

 

 

①困っていることを理解できずに自分だけでの解決が不可能。
言語化ができないので相談ができない。
の2つで困っている、のが悩み。

 

そのままシンプルに言語化するとしたら、

最近無気力だし寂しいし

なんか虚しいしなんもかもが嫌で弱ってるんだ、どうしたらいいかな?

になるか…。

 

あーでもこんな言い方しても

悩みが曖昧すぎる…

 

自分で自分の悩みの本質に気づくしか

生きづらさの解決にはならないのかな…

 

自分で自分の真の欲求を

みとめられない、という事が

本質なのかも。

私のほんとのきもち…。

ほんとのきもち??

それって、抑える事が習慣化してたらきつくない?

本心を否認しているのが

生きづらさだとしたら

自分で自分を「生きづらく」していることになるの?

やべえ…本心を感じるってどうしたらいいのかな…